SHIINBLOG

プロジェクトadhd ノビ子の挑戦

ADHDでも社会で上手に生きるために色々なアイデアをひたすら試すブログ。ADHDの有益な情報交換の場になればいいなと思います。昨日よりもうまくいく1日に!http://www.adhd-world.com ご連絡はこちらまで!nobinobiko2@gmail.com

障害者という言葉

ADHD=かくすべきこと、普通より残念

・障害者=なんとなく言ってはいけない言葉、よくない言葉

無意識に蔓延しているこういう概念がいつかなくなるといいなと思う。

今回はADHDであることを伝えた事によって感じた「障害」という言葉や、上記の概念についてあくまで私が個人的に思うことを書きます。

※不快に思われたら申し訳ありません。

 

 私は「障害者」と言われて嫌な気分には少しもならない。

なぜなら実際に「生活に障害のある人」だからです。

障害者と言われるとその通りだなと感じ腑に落ちます。

ところが必要以上に「害」という一字にこだわり平仮名にしてみたりする人がある。

私はその必要はないと思う。

 

~「障害」という言葉がよくないイメージという意見~

ADHDによって自分自身が感じる「障害」は確かに多い。

人よりできない事が多い。それによるストレスも多い。

でも、その障害から「なんとかしよう」「もっと別なやり方を」と思う。

そこからさまざまな工夫が生まれてくる。それを共有する楽しさもある。

「怒り、悲しみ、困難」はある時には「エネルギー」に。

「阻まれるほど」燃え上がるという性質が人にはあると思う。

激しい憤りから起業したり、厳しい反対をうけた2人が駆け落ちしたり。

「離れたあの人とも話がしたい!」という想いが電話を爆発的に普及させ、

「夜でも安全に便利に暮らしたい!」という人々の強い願いが電燈を生み出した。

戦後の焼け野原だった日本の復興、あらゆる「障害」だらけだったと思う。しかし今では当時の人々が想像できないほど世界からも評価される「技術の国」になりました。

多くの困難が障害が、日本中のエネルギーを湧き立たせていたのかもしれません。

歴史をたどれば「障害」という言葉は未知の可能性とエネルギーを秘めた字でもある・・・と思う。

「もっとなんとかしたい!どうしたらいいんだろう??」

そういう想いが社会を発展させてきた。それなのに、

「障害がある」=「よくない、大変」のたった1点のみにしか焦点があてられない事。

誰も未来を見ていない事。

そのことが私は本当に残念で悲しくてならない。

 

 

障害者の代わりの言葉は必要ない。

そんなに障害は特別じゃない。

 世界には大勢の障害者がいるから。

気付くことが出来ずにいる人も。

障害者と呼ぶことに気を遣われることはかえって辛い。

「口に出すのも躊躇するほど避けたり隠さなきゃいけないことなのですか?」と問いたい。

 事情があってADHDを伝えると「傍から見たらわからないし、でも全然普通だし

大丈夫だよ」と言ってくれる事がある。

この人は気を遣ってくれている、すまないなと思う。

 でも一方で心の中ではひどくつかれてしまう。気を遣わせたことにも。

こう考えてしまうから。

普通の人っぽく見えないと大丈夫じゃないんだな

傍から見てわかるのはそれ程ダメなんだ。結局は隠したほうがいいんだろうな

なんだか「地球に来て人間に成りすまして暮らす宇宙人」の気持ちになる。孤独を感じる瞬間。

 

「俺アレルギー体質なんだよね。」「そうなんだー」
「何が食べれないの?」「卵とかかな」「ふーん。卵か~。じゃあ結構大変だね。」

全ての障害者がこんな風に障害の事を会話できる日が来ればどんなに素敵なんだろう。