SHIINBLOG

ADHD&アーレン症候群 ノビ子の挑戦

ADHDでもアーレン症候群でも社会で上手に生きるために色々なアイデアをひたすら試すブログ。有益な情報交換の場になればいいなと思います。昨日よりもうまくいく1日に!http://www.adhd-world.com ご連絡はこちらまで!nobinobiko2@gmail.com

15分を生きる!

もしも人生の尺度が15分刻みだとしたら?

手帳とか、振り返りとかって。

1年とか、1日とか1週間とかそういう区切り方をするけど。

別にその人なりの区切り方があってもいいよね。

何分で区切ろうが1つの1度きりの人生には変わりない。

 

だったら、、

自分が把握できる、集中できる最大数で区切りたい。

こんな15分だった!がたくさんある1日って楽しそう。

1日の中に色んな15分があるという1日。

こんな15分だった!がいっぱいな感じ。

24時間は長すぎる。

時間の間隔が掴めない私の手には負えない。

毎日のスケジュールを立てるとか

24時間の中にいくつもの用事を配置するとかそういった事。

私には難しすぎる。

いつも思った通りにできなくて終わってしまう。

今考えてることがどんどん変わる。

思いつきに丸1日振り回されたり

たまたま目に入ったもので考えや行動が方向転換したり。

1つのことを長時間続けるのは難しかったり。

だけど、、15分だったら。

1日のうちで何回も。何回も。

ページをめくるように新しい時間が訪れる。

勉強の15分、遊びの15分、人間関係の15分

映画の15分、趣味の15分、アイデアの15分。

新しい瞬間がいくつもある1日に

なぜかとても惹かれる。

 

コツコツはだめでも瞬発には強いとしたら、、、。

接着剤でもいろんなタイプがあるように、

ADHDは瞬間タイプなんじゃないだろうかってたまに思う。

なぜかはわからないけど、

面接ではいつも負ける気がしないあの感じとか(笑)

短期的瞬発力の強さを感じる。

 

当たり前のように1日単位で生きてるけど。

別にそうじゃなくてもいいとしたら。

日記じゃなくて、、15分記があったっていいなら。。

 

普通の人と時間の感覚が違うから

違った時間のデザインがいい。

なんでもかんでも

スタンダードに合わせることが普通(無意識)になってて、

合わせていると生きづらさを感じる。

自分の能力は発揮できないって錯覚したり

なんでもないことまで難しく感じたり、

本当は出来ることも出来なくなる。

 

ADHDにとってのスタンダードと普通の人にとっての

スタンダードは違う。

良い悪いとか置いといてとりあえず違う。

違うものは違うからもう仕方ない。

 

身近なデザインへの疑問を常に抱かずにいられない。

この線はここでないといけないのかな?とか。

この数字は、文字はここにあってもいいのにねとか。

なぜって世界はしばしばデザインで定義されてしまうから。

なんとなく、無意識的に、

「こうあるものだ。」と定義されてしまう。

それで、私は時々困惑する。

気が付かないうちに、些細な混乱が生じて。

小さな波のしわ寄せが大きくなって、、

大体辿っていくと定義のエラーに原因がある。

見慣れたデザインが普通だと思い込んでいて

それに無理して合わせてうまくいかない。

それに気が付くとなーんだと思う。

網から逃れた魚の気分みたいな。感じ。

時間も、、そのうちの一つ。

映画のフィルムみたいに短い時間が連なっていて

どこでカットするかは個人の自由なんだけど。

後悔の多い人生

在宅勤務が続いている。

片づけをして箪笥の引き出しを1段片づけてみる。

要らなくなった過去のたくさんのレンズを捨てる。

アーレンレンズに出会うまで本当に大変だったなと振り返る。

捨てるうち心が軽くなる。

自分の不要な過去とも同時に決別できるからだろうか。

あるいは脳のメモリ容量を増やせるからかもしれない。

 

レンズを捨てながら、過去を振り返って

ふと、決断で後悔したことがあるかと考えてみる。

やったことで後悔したことは。

実はそんなにない。大したことない事が多かった。

やりもしない趣味の道具を買ってしまったとかそんなこと。

 

でもやらなくて後悔したことが結構多い。

・学校(義務教育)へろくに行かなかった

・あまりまともな仕事をしてこなかった

・もっと早くアーレンレンズをつくればよかった

・前職でもっと頑張ってみたかった

・もっと20代で恋愛すればよかった

・亡くなった父に連絡をとらなかった

 

こういう振り返りから、何を得ればいいのだろう??

 

やった後悔よりやらない後悔

 

よく聞く言葉だけどまずはそんな言葉がありきたりに浮かぶ。

と、同時に本当にそんなに簡単なことなの?と疑う。

色々穿った疑問がどうしても浮かんでくる。

 

疑問①

「その時は」どういう選択肢があったのか??と疑問。

あくまでも今じゃなくて「その時」はどうだったの?って事。

その時はそうできなかった自分とか

そうしなかったという決断が無視されていないか?という事や

障害とうまく共存できていなかったその時の自分が

まるでいなかったことにされていないか?という疑問。

 

疑問②

はたしてではそれをやっていたら幸せだったのか?ということ。

-この答えは誰にもわからない。

 

それらを考慮したうえでもう一度問いかける。

「後悔があるか??」

 

結局、後悔は半分あって半分なかった。

「今の自分」ならできるからBestの結果を想像してしまって後悔する。

一方で「当時の自分」には無理だったのがわかるから全く後悔がない。

 

後悔は色眼鏡。

未来の事は誰にも分からず自分の思い通りにはならない。

今の自分が今よりはるかに未熟な過去の自分を眺めるとき

後悔が存在しないほうが珍しいだろう。

例えばそれはテストの答えを散々見てから

これに〇をつけたらよかった等と考えるのによく似ている。

 

こうすればよかったとかああすればよかったとか思うのは多分

今の自分と昔の自分が同じ人間ではないから。

今だったらこうするのに。。という考えから生じてる。

私たちは自分でも気が付かないうちに変化している。

1年前の自分と今日の自分とか、

5年後の自分と今日の自分は絶対に同じじゃない。

こうすればよかったという「今の」願望と

「当時の」自分は全く釣り合っていない。

それなのに。

同じ人間だからといって無意識に比較してしまう。

こんなのは全然フェアじゃない。

人はどこまでも自分に都合のいい絵を描いてしまう。

後悔はあるかないかはどうでもよくて

するか?しないか?なんだと思う。

 

たくさんの後悔があっても

後悔しない人生を生きることは

今この瞬間からすぐできる。

直ちに理不尽な計算をやめたらいい。

あっても、しなくていい。

そういう選択がいつもそばにあると思い出す事は

後悔が多めな人生だった私をほんの少し勇気づける。

それは悪い事ではないし

逃げる事でもずるい事でも多分ない。

過去にすっきりと別れを告げ、

人は誰でも変わるという現実も受け入れて

今の自分を生きようと神経を傾けて集中してる。

ただそれだけのことだと思う。

 

ヘルプマークをつける理由

私がヘルプマークをつける理由。

席を譲ってもらう為でも配慮してもらう為でもない。

ただ気付いてもらうだけでいい。

こういう障害(アーレン症候群)があるという事。

医療用レンズやサングラスをかけて毎日を過ごす

障害者が街にたくさんいる事を知ってもらいたい。

虐められる子供や誤解される人が一人でも減ってほしい。

 

ヘルプマークをつけるかどうか迷った時期がある。

席ゆずってくださいって言ってるようで

自分の弱点を認めるようで最初は気が引けた。

しかし自分という枠を超えて考えてみる。

これをつけることにわずかながらも意味があるか。

 

障害者自身が変わらなければ、

積極的に発信しなければ

いつまでたっても世間の間違った理解や

無知が変わる事は多分ない。

 

健常者の障害に対するイメージや知識は

身近な障害者によってある程度つくられる。

私は友人に言われたことがある。

「あなたはADHDに見えないね。ADHDの人って

 貧乏ゆすりがひどかったけど全然そんなことないよね。」

些細な出来事の一つ一つに意味や印象があるのだと思う。

 

あらゆる言動、行動が発信となり

どこかで意味を持つ時が来ると信じる。

 

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